東京を離れることになりました。
実家に帰ります。もう母を独居にしていくのは難しいと判断をしました。
認知症で生活ができないというわけではありませんが、脊柱管狭窄症が切っ掛けで、毎日、朝から晩まで膝と腰の痛みを訴えるようになってしまいました。
でもね。
歩けないわけでもありませんし、ひざが曲がらないわけでもありません。食欲もあります。
特に酷い狭窄でもないようで、年相応の関節の痛みだと思われるのですが、本人いわく、毎日死にたいぐらいに痛いんだそうです。あまりにりきんで痛がっているうちに、今度は心臓に負担がかかったようで、持病の心不全も悪化してきてしまいました。
つまり、「もう一人では暮らせない!」と母は訴えたいようです。
86歳ですからね、仕方ありません。頑張ったほうだと思います。
本格的な引っ越しは来年の2月にと思っているのですが、私はもう殆ど実家にいます。
だから今年の夏は、ベランダトマトもまったくお世話できずに撃沈。これは東京を離れる潮時なのかな、と思い至りました。
実家が嫌で東京に出たけど、40年近くを好きに暮らせてこれたので、母の人生の残り数年間を甘んじてご奉仕する。
なんてそんなに簡単に決心をすることが出来ず、東京と実家を行ったり来たりしていましたが、もう体力的にも精神的にも無理、すでにかなり疲れています。
そして毎日毎日、ひーひー痛い痛いを繰り返し訴える母に辟易しています。
「痛い痛い」は、自分が若い頃のようには動けず介護されることにに対する免罪符のように、止めどなく流れ出て、どんな痛み止めもブロック注射も効かない。
だからきっと母は、死ぬとか意思疎通が出来なくなるとか、そういう時期までずっと、痛いよ痛いよ死にたいよを繰り返していくんだと思います。
これを書いている隣の部屋では、10秒前まで痛みにひーひー言ってたくちが、テレビと一緒に古い歌謡曲を上機嫌で歌っています。
高齢者ってそういうもんなんでしょうか。まじ腹立たしいわ。
「そんなこと言わずに、親孝行できるのは今のうちなんだから。」なんて思っちゃったそこのあなた。
言っとくけど、親孝行しすぎたから疲れてんのよこっちはさぁ!などと毒づきたくなるほどには疲れています。
あまり正面から向き合うと辛くなるので、できるだけ距離をとって接してはいるのだけど、構ってくれの圧が毎日凄くてうんざりです。
自分でおトイレが出来なくなったら施設だよ、と約束しているので、トイレに行くのもひーひー言いながら「痛くても頑張ってます」をアピール!みたいないちいち面倒な日々。
持つのかな、あたし。
さて。そんなわけで、残念ながら東京のベランダ水耕はこの夏をもって終了いたしました。
このブログも、テーマ変更をせざるを得ません。
前向きに考えれば、実家は一軒家だし庭もあるし、ガーデニングもDIYも好き放題。やりたい放題。
一応、2階にはちょいと広めのベランダもある。ベランダガーデニングも出来ないことはありません。
環境はいいのよ。歩いていける範囲にコメリもある。ブログ記事に困ること無し。
でもなぁー、「痛い痛いおばぁ」の顔を見てると、テンションが地中深くまで下がってしまうのよ。どうしたものだろう。
気持ちが引き摺られ無いように、自分の中心に気持ちを置かないと、こっちまでおかしくなってしまいそう。
これが介護の一番の敵なんだろうな、と想像に難くありません。
それと引っ越しがどうにも面倒くさい。
越境だし、実家に戻るとなると、自分の家財道具は処分するもののほうが多くなってしまいます。
冷蔵庫とか洗濯機などのリサイクル家電は、エレベーターの無い3階から下ろす作業もお願いせねばならず、割高でも民間業者に委託するしかない。
物干し竿などの自分で下ろせる粗大ごみも、15年も住んでいた部屋だもの、かなりの数があります。
今はダンナ氏が一人で東京でせっせとゴミの日に出せるものは出そうと頑張ってくれているけど、いやはや、考えるだけでも疲れてしまうわ。
とことん疲弊してしばらくこのブログも止まっていましたが、また書こうと思います。
引っ越しを決意したことで、よどんでいた気持ちが動き出したのかもしれないな。
しばらくはこんな愚痴ばっかりの記事しか書けないかもしれませんが、またどうぞよろしくお願いします。
Posted on 10月 24, 2022 at 8:02 pm by Naomi / 8 Comments