• 自分時間
  • 枝葉末節

鈍化なのか成長なのか

11月の終わりに、予告通りにトマトの催芽を始めました。

そして本日の様子。まだ1週間なんですけど、こんなに出そろいましたよ。いつも催芽を始める1月や2月に比べて、気温がそこまで低くないからでしょうか…。こんなにスムーズな発芽は初めてです。

1週間かからずに発芽完了。
KUMATO、播きました。

結局、常連の「クオールディブエ」と「サンマルツァーノ」の他は、ミニトマト「キャロルムーン」と懐かしの黒トマト「KUMATO」、そしてやっぱり安定して美味しい「プチぷよ」のラインナップ。プチぷよは「Ⅱ」となってましたけど、何が違うんだろう?

セルトレイの培地はベラボンです。土栽培にする苗はこの後、野菜培養土のポットに植え付けて冬を越す予定です。長い期間の加温栽培になるので、できるだけ日光に当てられるようにしないといけませんねぇ。難易度高そうだな。

プチぷよは、いつのまにか「2」になってた。

穏やかに種まきしていた先週、近くに住む伯母が急逝しましてね。母は4人姉妹なのですが、下から2番目の妹でまだやっと80歳。とても気さくな伯母で大好きで、小さい頃は夏休みに良く泊まりにいったものです。大腸ガンだったそうなのですが、ここ最近は体調も良く、自宅の周りを散歩したりしていると聞いていたから、急な知らせに私も母もビックリしました。

まぁ80歳過ぎたら、いつ急変してもおかしくないと頭では解っているのですが、それでもショックでした。

一昨日、葬儀に母を連れて参列し、他の伯母たちと顔を合わせたけれど、「元気でがんばろうね。」と励ましあう母と伯母たちが、とても小さく儚げに見えました。歳を取るのも悪くないと普段は思っている私も、その先の、もっと死が近づいてきた時の事はまだ全く想像できていないのだと、心から思います。

ただねぇ、葬儀に参列する機会が増えてくると、何となく死に対する感性が鈍くなってきている感じもしますよ私は。昔を思い出すとジーンとするけど、それほど感傷に浸ることも無くなってきているなぁ…。

こうやって身近なひとの死を経験することで、耐性ができてしまうという事なのでしょうか。鈍化、かな。すっかりスレちゃったな。

まぁそんな事言ったって、トマトの生長は待ってくれないし、家事も庭仕事も仕事もやること山積みだから、確かに感傷に浸ってる暇も無いのが正直なところ。
生きている自分や家族の「今」を大事にすること以外に進む道はありませんしね。
そう考えるとこれもまた、ひとつの「成長」ということでしょうか。

そういうことにしておきますか。

紅茶棚、作りました。

昨日、亡くなった父の食器や、妹家族の古い子供食器を処分したりして食器棚のスペースを空けて、私の小さなお楽しみ「紅茶コーナー」を作りました。うちは思い出ばかりを溜め込んでるから空気が淀みがちなんだよね。
まだまだ不要な食器が山ほどあるのですが、少しずつ整理&再構築していく予定です。

さて。忙しない季節がやってきますが、
日々の暮らしをただただ流さずに、凛とした足取りで歩んでいきましょうね、みなさん。

まとまらない文章でしたね、すんません。

Posted on 2025年12月5日

みなさまからのコメント

コメントフォームへ

kasugai90 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です